劇作家・演出家である平田オリザ率いる青年団の演劇を初めて観たのは、2000年10月の ニューヨーク公演である。その際上演された、平田の岸田戯曲賞受賞作『東京ノート』(1994年初演)に、強い衝撃を受けた。
ひとことで言えば、それは現実世界を原寸大で再現した、精密モデルのような演劇だった。即興かと思われるほど、リアルな台詞。俳優たちの自然な発話、動 作。いわゆる芝居臭さや、押し付けがましいメッセージ性は皆無。演劇にとって枝葉末節な要素を徹底的に削ぎ落としつつ、真に演劇的であるものだけを残した ような骨太さ。限りなく無色透明に思えるのに、同時に作者の強い世界観も感じられる不思議な感覚。
観たままの世界をそのまま切り取ることは、現実にカメラを向けるドキュメンタリーですら困難な仕事だが、平田作品はそれを舞台上で難なくやってのけてい るように見えた。そんなことがどうして可能なのか。何かとてつもない作品を観たような気がした。ただ、目前の作品が、たまたま出来あがった偶然の傑作なの か、それとも作り手の確固たる思想と方法論に基づくものなのか、その時点では判別しがたかった。
2006年3月、青年団は再びニューヨークにやってきた。上演された『ヤルタ会談』と『忠臣蔵・OL編』を観た瞬間、僕は遅まきながら確信した。
「これは絶対に偶然ではない!」
直感の正しさを確かめるため、上演会場で売っていた平田の著書を数冊買い込み、むさぼるように読んだ。そして読みながら、戦慄で鳥肌が立ったのを昨日の ことのように憶えている。平田作品に即興はなく、僕が観たどの作品も、稽古場から生まれて確立した方法論と組織論、そして平田独特の世界観に基づいて、極 めて精密に構築されていたのである。しかもその創造的実験は90年代前半からたゆまなく続けられていた。僕は呆れるほど遅れて彼らに出会ったに過ぎない。 自らの不明を恥じた。僕は演劇については全くの素人だが、表現にたずさわる人間の端くれとして、平田オリザという芸術家に強烈に惹かれた。
私見では、一貫した方法論と哲学に基づいて作品を作り出すという意味で、平田演劇はモダンダンスの巨匠・マース・カニングハムを思わせた。また、盤石の 方法論とスタイルで組織を描き続けるドキュメンタリー映画界の怪物・フレデリック・ワイズマンをも想起させた。いずれも僕がこよなく尊敬する偉大な芸術家 である。平田オリザが、いかなるメッセージにも奉仕せず世界の描写に徹している姿勢や、多作である点も、両巨匠に似ていると思う。
僕は青年団と平田オリザの活動に並々ならぬ関心を寄せた。許されるなら、彼らの創作現場をつぶさに観察してみたい。そう、思うようになった。そして 2008年、友人で俳優の近藤強氏が青年団に入団した事実を知ったのをきっかけに、僕は平田オリザ氏にコンタクトを取り、本企画が実現したわけである。
◆◆◆◆◆◆◆
ひとことで言えば、それは現実世界を原寸大で再現した、精密モデルのような演劇だった。即興かと思われるほど、リアルな台詞。俳優たちの自然な発話、動 作。いわゆる芝居臭さや、押し付けがましいメッセージ性は皆無。演劇にとって枝葉末節な要素を徹底的に削ぎ落としつつ、真に演劇的であるものだけを残した ような骨太さ。限りなく無色透明に思えるのに、同時に作者の強い世界観も感じられる不思議な感覚。
観たままの世界をそのまま切り取ることは、現実にカメラを向けるドキュメンタリーですら困難な仕事だが、平田作品はそれを舞台上で難なくやってのけてい るように見えた。そんなことがどうして可能なのか。何かとてつもない作品を観たような気がした。ただ、目前の作品が、たまたま出来あがった偶然の傑作なの か、それとも作り手の確固たる思想と方法論に基づくものなのか、その時点では判別しがたかった。
2006年3月、青年団は再びニューヨークにやってきた。上演された『ヤルタ会談』と『忠臣蔵・OL編』を観た瞬間、僕は遅まきながら確信した。
「これは絶対に偶然ではない!」
直感の正しさを確かめるため、上演会場で売っていた平田の著書を数冊買い込み、むさぼるように読んだ。そして読みながら、戦慄で鳥肌が立ったのを昨日の ことのように憶えている。平田作品に即興はなく、僕が観たどの作品も、稽古場から生まれて確立した方法論と組織論、そして平田独特の世界観に基づいて、極 めて精密に構築されていたのである。しかもその創造的実験は90年代前半からたゆまなく続けられていた。僕は呆れるほど遅れて彼らに出会ったに過ぎない。 自らの不明を恥じた。僕は演劇については全くの素人だが、表現にたずさわる人間の端くれとして、平田オリザという芸術家に強烈に惹かれた。
私見では、一貫した方法論と哲学に基づいて作品を作り出すという意味で、平田演劇はモダンダンスの巨匠・マース・カニングハムを思わせた。また、盤石の 方法論とスタイルで組織を描き続けるドキュメンタリー映画界の怪物・フレデリック・ワイズマンをも想起させた。いずれも僕がこよなく尊敬する偉大な芸術家 である。平田オリザが、いかなるメッセージにも奉仕せず世界の描写に徹している姿勢や、多作である点も、両巨匠に似ていると思う。
僕は青年団と平田オリザの活動に並々ならぬ関心を寄せた。許されるなら、彼らの創作現場をつぶさに観察してみたい。そう、思うようになった。そして 2008年、友人で俳優の近藤強氏が青年団に入団した事実を知ったのをきっかけに、僕は平田オリザ氏にコンタクトを取り、本企画が実現したわけである。
◆◆◆◆◆◆◆
撮影は、2008年7月から、2009年3月まで、断続的に行われた。撮影の延べ日数は約60 日。この間に撮影された演目は合計9本に及び、約307時間の映像素材を得た。1日に最高9時間もカメラが回ったこともある。
撮影は、基本的に僕が一人で行った。これまでの観察映画の方法論通り、台本を作らず、事前の打ち合わせを最小限にして、即興的にカメラを回した。撮影を することが決まってからは平田の著書を読むことを自らに禁じ、なるべく内容も忘れて、目の前に展開する現実から虚心に学ぶことを心がけた。
膨大な映像素材を編集するのに、これも断続的に約2年間かかった。その過程で、とても1本の作品にはまとめられないことが分かった。最終的には、それぞ れ3時間近い、2本の長い映画になった。
『演劇1』では、平田演劇の哲学や方法論を描くことに専念した。平田はどのような演劇観に基づき、いかにして戯曲を量産するのか。演劇を精密に構築する ために、平田は稽古場で俳優に何を要求し、俳優はどういう技術を用いて、どう応えるのか。ともに演劇世界を作り出す、照明や舞台美術はどうか。そして、作 品を継続的に作って世の中に送り出す装置としての劇団を、平田はどのようにデザインし、どう運営しているのか。約80人が所属する芸術家集団としての青年 団をひとつの生き物のようにとらえながら、「平田オリザの世界」を徹底解剖しようとしたわけである。
リアルな演劇を作る方法論を描くことは、必然的に「リアルとは何か」を問い直すことでもある。そしてその裏生地として「虚構とは何か」「演劇とは何か」 「演じることとは何か」を問う作業でもある。そもそも、人類はその誕生以来、少なくとも古代ギリシャ時代から、演劇という営みを続けてきたわけだが、それ はなぜだろうか。青年団の活動を描くことを通じて、演劇の本質、演劇の原初的な形態に少しでも迫りたいと思った。
『演劇1』で描いたのが「平田オリザの世界」だとすれば、『演劇2』は「平田オリザと世界」と要約できるだろう。青年団は観客の鑑賞体験を最大化するた め、基本的に200席以上の劇場では公演を打たない。観客動員が期待できるスターシステムも採用しない。約60人の俳優と約20人のスタッフを抱えなが ら、そうした禁欲的な制約を自らに課すことは経済的には茨の道であるはずだ。その折り合いを、平田オリザと青年団はどのようにつけ、どのような生き残り戦 略を持っているのか。平田は、政界や行政、教育現場に積極的に関わることでも知られているが、そうしたいわば、平田いわく「自分の作品のみならず演劇界を 支えるための活動」の現場では、どんなことが起きつつあるのか。
『演劇2』では、演劇と社会、いや、究極的には芸術と社会の関係を問うことになった。それはとりもなおさず、演劇を通して現代社会を見つめ直す作業でも あり、拙作『選挙』や『精神』ともオーバーラップする世界が垣間見えたと思う。そういう意味では、『選挙』『精神』『演劇』は3部作として観ることができ るだろう。
僕は平田演劇に魅せられたファンである。だからこそ、撮影と編集の過程を通じて常に念じていたことがある。
「青年団や平田オリザを礼賛するだけのPR映画にはしない」
それを避けるためには、平田オリザという強烈な個性を持った芸術家と、青年団という芸術家集団を、いったん解体し、僕なりに再構成する必要があった。撮 影や編集を始めた当初は、被写体にねじ伏せられるばかりで、それがほとんどできずに苦しんだ。最終的に成功したかどうかの判断は観客にゆだねるが、極めて 困難かつスリリングな作業であったことを最後に記しておく。
撮影は、基本的に僕が一人で行った。これまでの観察映画の方法論通り、台本を作らず、事前の打ち合わせを最小限にして、即興的にカメラを回した。撮影を することが決まってからは平田の著書を読むことを自らに禁じ、なるべく内容も忘れて、目の前に展開する現実から虚心に学ぶことを心がけた。
膨大な映像素材を編集するのに、これも断続的に約2年間かかった。その過程で、とても1本の作品にはまとめられないことが分かった。最終的には、それぞ れ3時間近い、2本の長い映画になった。
『演劇1』では、平田演劇の哲学や方法論を描くことに専念した。平田はどのような演劇観に基づき、いかにして戯曲を量産するのか。演劇を精密に構築する ために、平田は稽古場で俳優に何を要求し、俳優はどういう技術を用いて、どう応えるのか。ともに演劇世界を作り出す、照明や舞台美術はどうか。そして、作 品を継続的に作って世の中に送り出す装置としての劇団を、平田はどのようにデザインし、どう運営しているのか。約80人が所属する芸術家集団としての青年 団をひとつの生き物のようにとらえながら、「平田オリザの世界」を徹底解剖しようとしたわけである。
リアルな演劇を作る方法論を描くことは、必然的に「リアルとは何か」を問い直すことでもある。そしてその裏生地として「虚構とは何か」「演劇とは何か」 「演じることとは何か」を問う作業でもある。そもそも、人類はその誕生以来、少なくとも古代ギリシャ時代から、演劇という営みを続けてきたわけだが、それ はなぜだろうか。青年団の活動を描くことを通じて、演劇の本質、演劇の原初的な形態に少しでも迫りたいと思った。
『演劇1』で描いたのが「平田オリザの世界」だとすれば、『演劇2』は「平田オリザと世界」と要約できるだろう。青年団は観客の鑑賞体験を最大化するた め、基本的に200席以上の劇場では公演を打たない。観客動員が期待できるスターシステムも採用しない。約60人の俳優と約20人のスタッフを抱えなが ら、そうした禁欲的な制約を自らに課すことは経済的には茨の道であるはずだ。その折り合いを、平田オリザと青年団はどのようにつけ、どのような生き残り戦 略を持っているのか。平田は、政界や行政、教育現場に積極的に関わることでも知られているが、そうしたいわば、平田いわく「自分の作品のみならず演劇界を 支えるための活動」の現場では、どんなことが起きつつあるのか。
『演劇2』では、演劇と社会、いや、究極的には芸術と社会の関係を問うことになった。それはとりもなおさず、演劇を通して現代社会を見つめ直す作業でも あり、拙作『選挙』や『精神』ともオーバーラップする世界が垣間見えたと思う。そういう意味では、『選挙』『精神』『演劇』は3部作として観ることができ るだろう。
僕は平田演劇に魅せられたファンである。だからこそ、撮影と編集の過程を通じて常に念じていたことがある。
「青年団や平田オリザを礼賛するだけのPR映画にはしない」
それを避けるためには、平田オリザという強烈な個性を持った芸術家と、青年団という芸術家集団を、いったん解体し、僕なりに再構成する必要があった。撮 影や編集を始めた当初は、被写体にねじ伏せられるばかりで、それがほとんどできずに苦しんだ。最終的に成功したかどうかの判断は観客にゆだねるが、極めて 困難かつスリリングな作業であったことを最後に記しておく。
『演劇1』『演劇2』、まとめて5時間42分を三晩かけて見た。たいへんに面白かった。何がどう面 白かったのか、手持ちの映画批評の用語ではうまく表現できない。そういう種類の経験だった。
私は何であれ「イノベーティヴなもの」に対しては基本的に好意的な人間である。自分がそこで経験したことを記述したり、人に説明したりするためには、新 しい概念と新しい言葉を自分でつくり出さなければならないという切迫を愛するのである。まだ見終わったばかりの、興奮さめやらぬ状態で、この映画のどこが 私に切迫してきたのか、それについて書いてみたい。
この映画の「成功」(と言ってよいと思う)の理由は二つある。
一つは「観察映画」という独特のドキュメンタリーの方法を貫いた想田和弘監督のクリエーターとしての破格であり、もう一つは素材に選ばれた平田オリザと いう世界的な戯曲家・演出家その人の破格である。この二つの「破格」が出会うことで「ケミストリー」が生み出された。二人がそれぞれのしかたで発信してい る、微細な歪音がぶつかりあい、周波数を増幅し、倍音をつくり出し、ある種の「音楽」を作り出している。私はそんな印象を受けた。
私は想田監督にはお会いしたことがないが、平田オリザさんには何度かお会いしたことがある。この映画にも出てくる民主党参議院議員の松井孝治さんにご紹 介頂いたのである。
平田さんからは、笑顔を絶やさず、ゆっくり言葉を選びながら話す知的で温和な人という印象を受けた。だが、知的で温和で物静かな人物が、劇作家として世 界的なポピュラリティを獲得し、内閣参与になって総理大臣のスピーチライターをするというようなことはふつうは起こらない。だから、この笑顔と違うところ に、これとは「別の顔」を隠しているのだろうと思った。しかし、何度かお会いしたが、平田さんは「別の顔」を見せない。つねに笑顔である。
想田監督のこの映画を見て、「平田オリザの笑顔」の深みが少し分ったような気になった。
それは平田さんがスタニスラフスキー・システムをきびしい口調で批判するときの、抑制の外れ方が 私のセンサーに「ヒット」したからである。この映画の中で、平田さんがこれほど否定的感情を剥き出しにした場面は他にない。
スタニスラフスキー・システムはいわゆる「新劇的」演技の基本をなす演劇理論である。自分が演じる 役柄について徹底的なリサーチを行い、その役柄を俳優が生身に引き受け、舞台上では、その人物がその劇的状況に投じられた場合に、どのようにふるまうか、 それを擬似的に再現しようとするのである。「役になりきる」演技術である。古くはマーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、近くは ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノら、ハリウッドきっての「名優」たちがこのメソッドの信奉者だった。
平田さんはそのメソッドをあっさりと退ける。俳優の内側に「自然にわき上がる感情」などはとりあえずどうでもよろしい。俳優に要求されるのは、演出家の 指示通り、目線を何センチずらす、ある単語と次の単語の間をコンマ何秒縮めるといった純粋に技術的なことに限定される。俳優は演出家の意のままに口を開 き、閉じ、手を上げ下ろしする「ロボット」でいい。現に、その平田さんの過激なアイディアは「ロボット演劇」というかたちで実現してしまう。
映画冒頭の『ヤルタ会談』の稽古から最後の『砂と兵隊』のフランス公演に至るまで、平田さんはすべ ての演出シーンでついに一度も登場人物の「内面」に言及しない。これが想田監督の編集上の作為でないなら、この「内面を持つこと」あるいは「自然発生的な 情緒に身を委ねること」、さらに言えば「深層が露出すること」へのアレルギーの症状そのもののうちに、私たちは「平田オリザの深層」が露出するのを見るこ とになる。
5時間にわたって映画の中の平田さんの笑顔を見続けているうちに、私はこの「はりついたような」笑顔が実際には状況によって、かなり微妙な変化があるこ とに気づくようになった。「平田笑顔の見巧者」になったのである。
平田さんだって生身の人間である。ときには「むかっ」とすることもあるし、「いらっ」とすることもあるし、「コノヤロ」と憤りがこみ上げるときもある (と思う。本人に訊いたら「ありません」とあの笑顔で答えると思うけれど)。そういうとき、マイナスの感情が湧出してきて、笑顔が維持しがたくなると、た ぶん平田さんの中では小さくアラームが鳴るのだ。すると、平田さんは「自己抑制」のアクセルをぐいと踏み込む。すると、ふたたび笑顔が戻って来る。この切 り替えの速さに私は驚嘆した。
見始めて3時間目くらいから、私はF1レーサーの微妙なハンドリングを見つめるように、平田オリザの「笑顔の微細な変化」に見入ってしまった。彼が画面 に出てこない時間帯の「空虚さ」に耐えられないほど、あの笑顔に魅了されてしまったのである。そして、笑顔が画面に拡がると、それのわずかな変化も見落と すまいと緊張した。「あ、いま一瞬『素』になって、0.3秒で笑顔に戻った・・・」というような、ほとんど平田オリザ演出と同じような時間の区切りでじっ と画面を見つめた。
なるほど。平田さんの人間観察の最大の資源は「自分自身」なのだとそのときわかった。わずか0.3秒の間のあるなしで、一つの台詞の意味が反転すること がありうるということを、まさに平田さんは彼自身の、現実の世界での他者との対話のうちでこれ以上ないほど雄弁に示していたのである。
たぶん平田オリザさんは自分ほど「過激なこと」を好む人間を他に知らないくらいに本性から過激な人なのだと思う(なにしろ16歳で自転車で世界一周に出 かけてしまうのである)。あまりに過激なので、おのれの過激さを「こうです」と提示するための既存の方法を思いつかなかった。そして、論理の経済の赴くと ころ、自分の過激さを完全に抑制することができるくらいに過激という逆説的な形態を選択し たのである。のだと思う。たぶん。
こういう「虚の過激さ」というのは、欧米のドラマツルギーのうちにはまず見ることのできないものである。
かの地では、「自分はこう思い、こう感じる」ということを明晰判明かつはっきりした声で言わないと「存在しない」かのように扱われる。だから、過激さを 表現しようとする人々は目を剥き、声を荒立て、口から唾を飛ばし、汗をたらし、舞台を走り回るようになる。でも、想像すればわかるけれど、みんながそうい う演技をする芝居に私たちはたぶんすぐに飽きてしまう。
しかし、ほんとうに法外な思念や感情は、人々から「ああ、『あれ』ですね」と簡単に了解されるよう な既存の度量衡で考量されることを拒む。そんなふうに「たかをくくった」かたちで了解され、それに基づいて慰撫されたり、気味悪がられたり、気を遣われた りするくらいなら、いっそ「ないもの」と思われた方がまだましだ。ほんとうに法外な思念や感情を抱く人はたぶんそういうふうに考えるのではあるまいか。
私自身はどんな意味でも「法外」さとは無縁な人間なので、これはあくまで想像であるが、平田オリザさんが舞台で造形しようとしているのは、「いかなる既 存の過激さの表象にも回収されない種類の過激さ」ではないかと私は思う。
もちろん登場人物の全員がそうであるわけではない。でも、外形的には穏やかで、内省的に見える人たちの中に、あるいは定型的なふるまいを繰り返す人たち の中に、「内面が法外すぎて、それに相応しい表現形を見出すことができないので『出来合い』の型をやむなく採用している」人がいくたりか混じり込んでい る。誰が「それ」なのか、それを血眼で探し出すことが、あるいは平田演劇を鑑賞している観客たちが味わっているひりひりするようなサスペンスなのかも知れ ない。
以上、平田オリザさんの演劇について私なりの勝手な印象を記した。
と、ここまで読んで、「それでは想田監督の映画への解説になっていないのでは・・・」と不安になった方もおられると思うが、ご心配には及ばない。私は映 画の話をずっとしていたのである。試みに、いま記した最後のパラグラフの「平田演劇」を「想田映画」に置き換えても、私の言いたいことは少しも変わらない ことがわかるはずである。
1950年東京都生まれ。思想家であり武道家。合気道道場・凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、映画記号論、武道論。 2007年、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞を受賞。『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞2010を受賞。他に『ためらいの倫 理学 戦争・性・物語』(角川文庫)、『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』(文春文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『呪いの時代』(新潮社)、『街場の読書論』(太田出版)、 『街場の文体論』(ミシマ社)など著書多数。
私は何であれ「イノベーティヴなもの」に対しては基本的に好意的な人間である。自分がそこで経験したことを記述したり、人に説明したりするためには、新 しい概念と新しい言葉を自分でつくり出さなければならないという切迫を愛するのである。まだ見終わったばかりの、興奮さめやらぬ状態で、この映画のどこが 私に切迫してきたのか、それについて書いてみたい。
この映画の「成功」(と言ってよいと思う)の理由は二つある。
一つは「観察映画」という独特のドキュメンタリーの方法を貫いた想田和弘監督のクリエーターとしての破格であり、もう一つは素材に選ばれた平田オリザと いう世界的な戯曲家・演出家その人の破格である。この二つの「破格」が出会うことで「ケミストリー」が生み出された。二人がそれぞれのしかたで発信してい る、微細な歪音がぶつかりあい、周波数を増幅し、倍音をつくり出し、ある種の「音楽」を作り出している。私はそんな印象を受けた。
私は想田監督にはお会いしたことがないが、平田オリザさんには何度かお会いしたことがある。この映画にも出てくる民主党参議院議員の松井孝治さんにご紹 介頂いたのである。
平田さんからは、笑顔を絶やさず、ゆっくり言葉を選びながら話す知的で温和な人という印象を受けた。だが、知的で温和で物静かな人物が、劇作家として世 界的なポピュラリティを獲得し、内閣参与になって総理大臣のスピーチライターをするというようなことはふつうは起こらない。だから、この笑顔と違うところ に、これとは「別の顔」を隠しているのだろうと思った。しかし、何度かお会いしたが、平田さんは「別の顔」を見せない。つねに笑顔である。
想田監督のこの映画を見て、「平田オリザの笑顔」の深みが少し分ったような気になった。
それは平田さんがスタニスラフスキー・システムをきびしい口調で批判するときの、抑制の外れ方が 私のセンサーに「ヒット」したからである。この映画の中で、平田さんがこれほど否定的感情を剥き出しにした場面は他にない。
スタニスラフスキー・システムはいわゆる「新劇的」演技の基本をなす演劇理論である。自分が演じる 役柄について徹底的なリサーチを行い、その役柄を俳優が生身に引き受け、舞台上では、その人物がその劇的状況に投じられた場合に、どのようにふるまうか、 それを擬似的に再現しようとするのである。「役になりきる」演技術である。古くはマーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、近くは ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノら、ハリウッドきっての「名優」たちがこのメソッドの信奉者だった。
平田さんはそのメソッドをあっさりと退ける。俳優の内側に「自然にわき上がる感情」などはとりあえずどうでもよろしい。俳優に要求されるのは、演出家の 指示通り、目線を何センチずらす、ある単語と次の単語の間をコンマ何秒縮めるといった純粋に技術的なことに限定される。俳優は演出家の意のままに口を開 き、閉じ、手を上げ下ろしする「ロボット」でいい。現に、その平田さんの過激なアイディアは「ロボット演劇」というかたちで実現してしまう。
映画冒頭の『ヤルタ会談』の稽古から最後の『砂と兵隊』のフランス公演に至るまで、平田さんはすべ ての演出シーンでついに一度も登場人物の「内面」に言及しない。これが想田監督の編集上の作為でないなら、この「内面を持つこと」あるいは「自然発生的な 情緒に身を委ねること」、さらに言えば「深層が露出すること」へのアレルギーの症状そのもののうちに、私たちは「平田オリザの深層」が露出するのを見るこ とになる。
5時間にわたって映画の中の平田さんの笑顔を見続けているうちに、私はこの「はりついたような」笑顔が実際には状況によって、かなり微妙な変化があるこ とに気づくようになった。「平田笑顔の見巧者」になったのである。
平田さんだって生身の人間である。ときには「むかっ」とすることもあるし、「いらっ」とすることもあるし、「コノヤロ」と憤りがこみ上げるときもある (と思う。本人に訊いたら「ありません」とあの笑顔で答えると思うけれど)。そういうとき、マイナスの感情が湧出してきて、笑顔が維持しがたくなると、た ぶん平田さんの中では小さくアラームが鳴るのだ。すると、平田さんは「自己抑制」のアクセルをぐいと踏み込む。すると、ふたたび笑顔が戻って来る。この切 り替えの速さに私は驚嘆した。
見始めて3時間目くらいから、私はF1レーサーの微妙なハンドリングを見つめるように、平田オリザの「笑顔の微細な変化」に見入ってしまった。彼が画面 に出てこない時間帯の「空虚さ」に耐えられないほど、あの笑顔に魅了されてしまったのである。そして、笑顔が画面に拡がると、それのわずかな変化も見落と すまいと緊張した。「あ、いま一瞬『素』になって、0.3秒で笑顔に戻った・・・」というような、ほとんど平田オリザ演出と同じような時間の区切りでじっ と画面を見つめた。
なるほど。平田さんの人間観察の最大の資源は「自分自身」なのだとそのときわかった。わずか0.3秒の間のあるなしで、一つの台詞の意味が反転すること がありうるということを、まさに平田さんは彼自身の、現実の世界での他者との対話のうちでこれ以上ないほど雄弁に示していたのである。
たぶん平田オリザさんは自分ほど「過激なこと」を好む人間を他に知らないくらいに本性から過激な人なのだと思う(なにしろ16歳で自転車で世界一周に出 かけてしまうのである)。あまりに過激なので、おのれの過激さを「こうです」と提示するための既存の方法を思いつかなかった。そして、論理の経済の赴くと ころ、自分の過激さを完全に抑制することができるくらいに過激という逆説的な形態を選択し たのである。のだと思う。たぶん。
こういう「虚の過激さ」というのは、欧米のドラマツルギーのうちにはまず見ることのできないものである。
かの地では、「自分はこう思い、こう感じる」ということを明晰判明かつはっきりした声で言わないと「存在しない」かのように扱われる。だから、過激さを 表現しようとする人々は目を剥き、声を荒立て、口から唾を飛ばし、汗をたらし、舞台を走り回るようになる。でも、想像すればわかるけれど、みんながそうい う演技をする芝居に私たちはたぶんすぐに飽きてしまう。
しかし、ほんとうに法外な思念や感情は、人々から「ああ、『あれ』ですね」と簡単に了解されるよう な既存の度量衡で考量されることを拒む。そんなふうに「たかをくくった」かたちで了解され、それに基づいて慰撫されたり、気味悪がられたり、気を遣われた りするくらいなら、いっそ「ないもの」と思われた方がまだましだ。ほんとうに法外な思念や感情を抱く人はたぶんそういうふうに考えるのではあるまいか。
私自身はどんな意味でも「法外」さとは無縁な人間なので、これはあくまで想像であるが、平田オリザさんが舞台で造形しようとしているのは、「いかなる既 存の過激さの表象にも回収されない種類の過激さ」ではないかと私は思う。
もちろん登場人物の全員がそうであるわけではない。でも、外形的には穏やかで、内省的に見える人たちの中に、あるいは定型的なふるまいを繰り返す人たち の中に、「内面が法外すぎて、それに相応しい表現形を見出すことができないので『出来合い』の型をやむなく採用している」人がいくたりか混じり込んでい る。誰が「それ」なのか、それを血眼で探し出すことが、あるいは平田演劇を鑑賞している観客たちが味わっているひりひりするようなサスペンスなのかも知れ ない。
以上、平田オリザさんの演劇について私なりの勝手な印象を記した。
と、ここまで読んで、「それでは想田監督の映画への解説になっていないのでは・・・」と不安になった方もおられると思うが、ご心配には及ばない。私は映 画の話をずっとしていたのである。試みに、いま記した最後のパラグラフの「平田演劇」を「想田映画」に置き換えても、私の言いたいことは少しも変わらない ことがわかるはずである。
1950年東京都生まれ。思想家であり武道家。合気道道場・凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、映画記号論、武道論。 2007年、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞を受賞。『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞2010を受賞。他に『ためらいの倫 理学 戦争・性・物語』(角川文庫)、『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』(文春文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『呪いの時代』(新潮社)、『街場の読書論』(太田出版)、 『街場の文体論』(ミシマ社)など著書多数。
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