薬品を使わず半永久的に髪色を変えるナノ構造転写技術、集束イオンビームで回折格子を形成
集束イオンビームで髪の表面層にナノ構造(回折格子)を刻むことで、髪を「染める」のではなく任意波長の光のみを反射するようにし、あらゆる色や複雑なパターンに変化させます(いわゆる構造色)。薬剤を使わないため頭皮などに悪影響を与えることなく、また原理的に色が抜けたり移ることもありません。
ナノ回折格子による髪色変更技術を発表したのは、ニューメキシコ大学機械工学部のZayd C. Leseman氏、ロスアラモス国立研究所の Bruce C. Lamartine 氏(発表当時。現ニューメキシコ大学所属)らのチーム。
「美容目的で髪に回折格子」という時点で出オチ気味に完結している気もしますが続けると、回折格子とは光の回折・干渉現象を起こさせる微細な周期的構造のこと。一般的には分光などのための光学素子として用いられますが、Leseman氏らの研究は髪の表面にこの回折格子を刻むことで髪の色を変えてしまおうという発想です。
なぜ微細構造で色が変わるのか、というとそもそも物質の色とはなにか?まで遡らねばならないため少々厄介ですが、例としてはシャボン玉やCDの記録面の虹色や、蝶の羽根の鮮やかな色などに見られる「構造色」と呼ばれる現象があります。
石鹸水はただの乳白色なのにシャボン玉になると薄膜構造から虹色に見えるように、CDではレーザー読み取り用の記録孔と層構造、蝶の羽根では鱗粉など、もともとの素材の色とは別に、微細な構造から光の干渉などにより特定波長の光やパターンが反射することが構造色の原理です。論文ではこれを髪のキューティクル表面に微細な凹凸を刻むことで再現できたこと、および今後の応用について述べています。
ではカラー剤を使わない髪色変更技術がどこまで実用に近いかといえば、論文ではコンセプト実証のため集束イオンビームを使い、一本単位の髪の一部に対して回折格子を形成し観測に成功した段階です。つまり実際に頭髪全体あるいは肉眼で見て意味があるほどの範囲にわたって適用できたわけではなく、研究者チームもさすがにイオンビームで気長に刻むのでは実用性に疑問があると認めています。
元論文によれば、この集束イオンビームによる実証でもっとも効果があったのは欧州人の茶髪。金髪やアジア人の黒髪にも一定の効果があったとのこと。この段階までの研究はヘアケア剤でも知られるP&Gが出資していましたが、どうやって頭髪全体に微細な溝を刻むのかの時点で実用性がないままプロジェクトは終了していました。
そこで論文の著者らが代替案として挙げるのは、髪を現在の整髪料やヘアマニキュアのようにポリマーで覆い、その表面にパターンを形成する方法。この方法ならば、加工を施したヘアアイロンを押し当てて転写するだけで、手軽に特定の色や、光の加減で変わるパターンに髪を変更できるとしています。トップの画像は、この方法を想定して作られたイメージ画像 (掲載したのはリンク先のニューメキシコ大学ニュース)。この謎のアイロンの開発に成功したニュースではありません。
転写法は髪の表面そのものを加工する方法と違って「半永久的」とはいきませんが、気が変わったら洗い流せることが利点とも言えます。結局はポリマーで覆うのならばカラー剤と大して変わらない気もしますが、色ごとに用意する必要はなく、脱色して髪の内部を染めることもありません。(そもそも表面を直接加工する方法でも、加工した髪についてはいちおう「半永久的」と言えるものの、新しく生えてくる髪や部分は当然ながら自然なままです。)
著者らによると、美容以外での応用として考えられるのは兵士の識別タグや、航空機の表面に回折格子を刻んでミサイルなどに狙われにくくし「テロリストから市民の命を守る」応用など(もしかして:ステルス)。
ナノ構造でヘアカラーの実用化は、原理的に髪一本一本の表面に成形せねばならないためかなり気の長い話になりそうです。とはいえ微細加工技術の発達により、物体の色すなわち可視光に対するふるまいだけでなくさまざまな性質を変えられるようになり、従来の直感に反する素材(いわゆるメタマテリアル)が作れるようになったことを今さらながら印象付けるニュースです、とまとめておきます。
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