「マウンテンバイクを発明したひとり」として知られ、現代自転車界の生ける伝説と も呼ばれる男、ゲイリー・フィッシャー。ご覧の通りの個性的風貌にして豪放磊落なアメリカン・マエストロが、自分のことや会社のこと、そして日本について WIRED.jpに語ってくれた。
ゲイリー・フィッシャー | GARY FISHER
1950年アメリカ生まれ。10代のころより自転車競技に参加、当初はロードバイクの選手として活躍した。その後、それまであったシンプルな自転車にモト クロス用ブレーキと変速機(ギア)を搭載したバイクを発明し、これを“マウンテンバイク”と名付け、一大ブームに火をつける。以後、精力的に独自のスタイ ルを追究し、マウンテンバイク界における先駆者のひとりとして知られている。
ゲイリー・フィッシャー。その名前はコアな自転車ファンでなくとも聞き覚えがあるかもしれない。俗に「マウンテンバイクを発明したひとり」として知られ、 イギリスで発明されたペニー・ファージング(極端に大きい前輪が特徴的な自転車の元祖)に始まるとされる自転車史に、重要なマイルストーンを打ち立てた人 物だ。が、当人は「マウンテンバイクを〜」とあたかもキャリアを総括したかのような定型句、なかでも“ひとり”というところがお気に召さない様子だ。
「“マウンテンバイク”という単語そのものを発明したのがオレなんだ。そこがほかのやつらと違うところさ。だいたいすでに存在していた自転車っていう乗り 物に変速機を取り付けるなんて、特別な才能がなくたって思いつくようなアイデアだろ?」
高らかな笑いとともにそういい放つフィッシャー氏。1950年生まれの彼が自転車競技を始めたのは10代のころだが、生来エンジニアとしての才覚ももち併 せていた彼は、競技と並行して既存の自転車にさまざまな改造改良を加えながら、新たな自転車の開発にも精を出した。ギアと呼ばれる変速機の搭載もそのひと つとされるが、それが現在われわれが知るマウンテンバイクの発明というかたちで結実したのである
今回の来日はニューラインナップ発表のためというが、ディーラー向けに開催したイヴェントには、優に400を超える関係者が集まり盛況を誇った。現在は国際的なバイクメーカー「トレック」の傘下に入り、トレックバイクのラインナップのひとつ「ゲイリー・フィッシャー・コレクション」として最新のマウンテンバイクを送り出しているフィッシャー氏。自身はすでに還暦を超える年齢に達しているが、いまも変わらずブランドの先頭に立ってバイクづくりに注力する毎日を送っている。
最初に買った日本製バイクは、大阪のTOYOフレーム>>>
「5年ほど前から、エンジニアの採用を強化してきたんだ。たぶんエンジニアの数で言ったらうちより多いのは、シマノぐらいだろうね。でもその試みがようや く結果として現れてきた。いまはエキサイティングなプロジェクトがたくさん進行中だよ」とフィッシャー氏。
マウンテンバイク界を常にリードしてきたブランドとして、その地位をライヴァルに譲ることなく固持していくためには、スタッフの一致団結した開発努力が必 要不可欠と主張する。フィッシャー氏を含むトレックの開発チームは、それを称して“アポロ・システム”と呼んでいるのだとか。
「NASAの“アポロ計画”から取ったんだ。とくにアポロ13は、絶対絶命の危機を乗り越えるため、クルーみんながもてる頭脳、能力を最大限に発揮して無 事地球に生還した。われわれも、自転車ブランドとして業界をリードし、そしてそのリード保つためには、優秀なスタッフひとりひとりが切磋琢磨してアイデア を出し合い、お互いを次のレヴェルに引き上げるよう努力しなくてはいけない。だから“アポロ”と名付けたのさ」
「昔は、オレひとりで自転車をデザインしていたし、フレームもスチールで製造工程はとてもシンプルだった。でもいまは違う。カーボンフレームひとつ取っ たって、コンピュータープログラムや風洞実験など投入されるテクノロジーも多種多様で、それぞれを担当するエンジニアを含めると、バイク1台の開発にかか わる人員も大所帯だからね」
そんな開発・製造の現場や、グローバルに流通をもつことを考えれば、ゲイリー・フィッシャーも一大バイクブランドのひとつだったが、前述の通り、もとはと 言えばフィッシャー氏が試行錯誤してニュータイプのバイクを開発してきたガレージカンパニーだった。その意味では、“職人”とされる日本のバイクビルダー たちにマインドは近い。実際、台湾製をはじめとするビッグブランドの自転車が市場を席巻するなか、日本のバイクビルダーがいまも現役で活躍している状況に ついて、フィッシャー氏は「とても嬉しい」と語る。
「彼らが作るバイクはフローレスでビューティフル。ホント“素晴らしい”のひとことだね。オレが最初に買った日本製バイクは、大阪のTOYOフレームが作ったものなんだ。当時の職人 だった石垣さんの息子さんが、現在も家業をしっかりと継いでいるようだね。われわれはみんなビスポーク、カスタムメイドのバイクを作るメーカーだけど、日 本でも仲間がこうして頑張っているのはとても嬉しいことだね」
オレの仕事はまだまだ終わっていないんだ>>>
バイクビルダーとしてのスピリットは、太平洋を挟んだ日本とアメリカ西海岸でも共有される普遍の価値観かも知れない。が、自転車カルチャーというアングル で切れば、それぞれに違うものを有していることも確か。フィッシャー氏の目にはそれもまた一興と映る。
「例えば、日本じゃ“ママチャリ”が歩道を走るのをよく見かけるだろ? そんな話をアメリカのやつらに話すとそれだけでビックリしているよ。『ママチャ リ、何それ?』『歩道を? ウソだろっ〜』ってね。後者については向こうじゃ歩道は歩行者のものだから許されない。ほかにもKEIRINバイクがメッセン ジャーを中心に人気だけれど、『KEIRINって実はギャンブルの一種なんだぜ』って言うとこれまた驚いているしね。ファニーだろ(大笑)。あと、パナソ ニックの工場を訪問したことがあるんだけど、オレが見た工場は、すべてがオートメーション化されてて、ロボットが自転車を次から次へと作ってたんで驚いた ね。人間が自転車に触れるのは、最後にデカールを貼る女性従業員だけだった(笑)」
また、日本×自転車というコンテクストで決して避けて通ることのできないブランドが、世界の自転車パーツ市場で80%超のシェアを誇る「シマノ」だろう。
「オレ自身も長い付き合いだけど、彼らの成功の秘訣は、なんと言っても“よく働くこと”じゃないかな(笑)。イタリアのカンパニョーロもパーツメーカーと しては当然素晴らしい技術をもっているけど、ビジネスプラクティスがまったく違う。シマノは、どこかのメーカーやブランドを特別扱いしたりすることがない んだ。どこかをえこひいきしているようだと、必ずそれを嫌う取引先も出てくるけれど、シマノはそういうことをまったくしない。とてもフェア。たまにイライ ラすることもあるけどね(笑)。どれだけ値下げ交渉をしても、決して折れないんだから。まあ逆に言えば、顧客をみんな対等に扱ってるんだな。実に、スマー トなやつらさ」
インタヴュー写真を見てもわかる通り、ハットに菱形フレームの眼鏡、真っ赤なドットが印象的なタイ、そして毛先をねじってスタイリングしたヒゲと、ファッ ションに関しても細部まで抜かりがない。「自分の服装に気を使うことは、周囲に対する尊敬の念を示す最良の方法」と語るフィッシャー氏。“還暦を過ぎ”と いう世間的な括りなどどこ吹く風の様子は、バイク作りに相通じるものがある。
「バイク作りにかかわってきて40年近く経ったけど、オレの仕事はまだまだ終わっていないんだ。これからも生き続けなくちゃならないのさ!」
トレック 「ゲイリー・フィッシャー・コレクション」
TEXT BY SHOGO HAGIWARA
PHOTOGRAPHS BY CEDRIC DIRADOURIAN
2012年10月2日
0 件のコメント :
コメントを投稿